2013年2月28日木曜日

もうすぐ二年が過ぎようと

もうすぐあの震災から2年が経とうとしていて、自分のなかでも感情的にまだまとまらない部分が多いのだけれど、先日の栃木で発生した震度5強の地震があの大震災の影響でおこった可能性があるなんて話を聞くと、震災によって引き起こされた地殻変動の大きさをまざまざと見せつけられたような気がして気が気でない。

でも、M8級の地震が連続したスマトラ沖地震の余震とくらべると、幸いなことにと言っていいのかどうかわわからないが、日本列島は比較的落ち着いてる感じがする。

もっとも日本では原発事故の余波は大きくて、こちらも様々な問題を惹起しているけれども、2年前のような絶望的な空気は薄れてきたように思う。それが単純に僕も含めて人々が鈍感になったせいなのか、それとも放射性物質や放射線についての啓蒙が進んだためなのかはよくわからない。諦念というのも一方ではあるだろうし、他方では開き直りというのもあるかもしれない。

たしかに放射線が「ただちに」影響はしていないように感じるし、そもそも放射性物質の振る舞いは厳密に統計的なものなので、時間が経てばたつほど放射能は減衰していくはずだ。その意味では、そもそもそんなに悲観することでもないという話ではある(半減期が数万年に及ぶような放射性物質は、それだけ核種崩壊にかかる時間も長いということで、単位時間的なエネルギーは極めて低い)。

ただ、人間は数万年も生きられるわけではないのだから、比較的エネルギーが大きく半減期が短い放射性物質のことが気がかりになるのは仕方のないことで、とくにいわゆる「被災地」から遠く離れた人々にしてみれば、福島県から運ばれてくる瓦礫というものは、なんだかとてつもなく危険なもののように見えるのかもしれない。

でも、近畿地方で言えば有馬温泉は天然ラジウム泉だったりするわけで、自然放射線の中には、福島県の緊急避難区域に指定されていない地域の瓦礫以上に高い放射線量を計測するものもある。天然ラジウム泉以外だと花崗岩や大理石も結構な放射線を発する鉱石で、たとえば東京国立博物館の本館の床は大理石でできているけれど、あそこに一日中いたら結構な放射線を浴びるものと思われる。けれど、そんなことは誰も問題にしないわけですよ。

もっとも、浜岡原子力博物館の資料館に行くと、こんな感じで「自然界にはたくさんの自然放射線や放射性物質があるんですよ~(だから原子力発電所の放射性廃棄物も似たようなものですよ~)」という展示があったりするわけで、これはどう考えてもプロパガンダでしかありえないだろう。原子力発電に使われるウランの燃料棒は自然界には存在しないもので、天然の放射性物質とは比較にならないくらい強烈な放射線を発する。そんなものを天然の放射性物質と比較して、あたかも安全であるかのように見せかけるというのは、やはりおかしい。

瓦礫焼却についてデータや焼却処分における具体的な対処策(フィルターの設置とか、埋却する際の深度や方法など)を考えずに、ただ「危険」だからという理由で騒ぎ立てるのは、僕にはどうにもついていけないし、かといって原子力発電所の資料館のプロパガンダじみた展示内容にもついていけない。

どちらにもついていけないので、結論としては、自分で本を読んで、自分で考えていくしかないわけでして、わずかながらの自然科学の知識と社会科学の知識をもとに、デマに惑わされることなく、淡々と生きていけたらいいなと思うわけです。