2013年2月28日木曜日

もうすぐ二年が過ぎようと

もうすぐあの震災から2年が経とうとしていて、自分のなかでも感情的にまだまとまらない部分が多いのだけれど、先日の栃木で発生した震度5強の地震があの大震災の影響でおこった可能性があるなんて話を聞くと、震災によって引き起こされた地殻変動の大きさをまざまざと見せつけられたような気がして気が気でない。

でも、M8級の地震が連続したスマトラ沖地震の余震とくらべると、幸いなことにと言っていいのかどうかわわからないが、日本列島は比較的落ち着いてる感じがする。

もっとも日本では原発事故の余波は大きくて、こちらも様々な問題を惹起しているけれども、2年前のような絶望的な空気は薄れてきたように思う。それが単純に僕も含めて人々が鈍感になったせいなのか、それとも放射性物質や放射線についての啓蒙が進んだためなのかはよくわからない。諦念というのも一方ではあるだろうし、他方では開き直りというのもあるかもしれない。

たしかに放射線が「ただちに」影響はしていないように感じるし、そもそも放射性物質の振る舞いは厳密に統計的なものなので、時間が経てばたつほど放射能は減衰していくはずだ。その意味では、そもそもそんなに悲観することでもないという話ではある(半減期が数万年に及ぶような放射性物質は、それだけ核種崩壊にかかる時間も長いということで、単位時間的なエネルギーは極めて低い)。

ただ、人間は数万年も生きられるわけではないのだから、比較的エネルギーが大きく半減期が短い放射性物質のことが気がかりになるのは仕方のないことで、とくにいわゆる「被災地」から遠く離れた人々にしてみれば、福島県から運ばれてくる瓦礫というものは、なんだかとてつもなく危険なもののように見えるのかもしれない。

でも、近畿地方で言えば有馬温泉は天然ラジウム泉だったりするわけで、自然放射線の中には、福島県の緊急避難区域に指定されていない地域の瓦礫以上に高い放射線量を計測するものもある。天然ラジウム泉以外だと花崗岩や大理石も結構な放射線を発する鉱石で、たとえば東京国立博物館の本館の床は大理石でできているけれど、あそこに一日中いたら結構な放射線を浴びるものと思われる。けれど、そんなことは誰も問題にしないわけですよ。

もっとも、浜岡原子力博物館の資料館に行くと、こんな感じで「自然界にはたくさんの自然放射線や放射性物質があるんですよ~(だから原子力発電所の放射性廃棄物も似たようなものですよ~)」という展示があったりするわけで、これはどう考えてもプロパガンダでしかありえないだろう。原子力発電に使われるウランの燃料棒は自然界には存在しないもので、天然の放射性物質とは比較にならないくらい強烈な放射線を発する。そんなものを天然の放射性物質と比較して、あたかも安全であるかのように見せかけるというのは、やはりおかしい。

瓦礫焼却についてデータや焼却処分における具体的な対処策(フィルターの設置とか、埋却する際の深度や方法など)を考えずに、ただ「危険」だからという理由で騒ぎ立てるのは、僕にはどうにもついていけないし、かといって原子力発電所の資料館のプロパガンダじみた展示内容にもついていけない。

どちらにもついていけないので、結論としては、自分で本を読んで、自分で考えていくしかないわけでして、わずかながらの自然科学の知識と社会科学の知識をもとに、デマに惑わされることなく、淡々と生きていけたらいいなと思うわけです。

2012年8月28日火曜日

『屍者の帝国』(伊藤計劃×円城塔、河出書房新社)書評

作家にとって死とは何か、ということを考えてみると、それは作品が忘れ去られてしまうことだろう。作者がすでに死んだ身であったとしても、作品が読まれ続ける限りは、その作品の内に作家は存在する。

というよりも、作家とはつまり作品が読まれた後で事後的に存在すると感知されうる存在であるに過ぎないのかもしれない。少なくともテクスト論的にはそうでありうる。生身の作者はすでにこの世には存在していないのかもしれないが、その作品のテーマや文体に作家は生き続けている。新しく作家の作品を読む読者は、作家が100年前に死んでいようが、1000年前に死んでいようが、その作品の内に作家を見出す。その意味では、作者は紙に印字された言葉や画面に映された言葉の中に生き続けているとも言えるし、あるいは死に続けているともいえる。

以上のようなテーマを内包しているという意味で、『屍者の帝国』は伝奇SFを装った円城塔作品であるといえるし、それはまた伊藤計劃の作品であるとも言えるだろう。

正直なところ、最後の100ページくらいまで、私はこの作品を単なる王道展開の伝奇SFだと思って読んでいた。そして、円城塔が、伊藤計劃のあの世界観を再現しきれていないことを残念に思っていた。伊藤計劃の遺稿をベースに書き継ぐからには、そこには伊藤計劃がたとえば『虐殺器官』で描き出したような「肉」の描写が必要だが、円城塔の文体にはそれが欠けているのだ。

伊藤計劃に独特の「肉」の描写。それは『虐殺器官』の冒頭の文に代表されうる。
「まるでアリスのように、轍のなかに広がる不思議の国へ入っていこうとしているようにも見えたけれど、その後頭部はぱっくりと紅く花ひらいて、頭蓋の中身を空に曝している。」

伊藤計劃の小説にとって、死体の描写は極めて重要だ。『虐殺器官』しかり、『ハーモニー』しかり、「The Indefference Engine」しかり。死体を詩的に描き出すところから、伊藤計劃の小説では戦争や生命といった主題が立ち上がってくるのであり、したがって今作においても、まさに「屍者」が主題の一つとなっているがゆえに、そこには「肉」の描写があって然るべきだった。しかし、円城塔が描き出した『屍者の帝国』には、そうした「肉」の描写はほとんど見当たらない。

もちろん今作は冒険活劇でもあるので、多くのアクション・シーンがあり、屍者も生者もバタバタ殺されるのだが、そこには「肉」の描写が欠落している。したがって、半分ほど読んだ段階で、「これは伊藤計劃の作品ではない」として作品を放り出してしまう人がいたとしても、何ら不思議ではないし、むしろ当然だろうと思う。実際、私としても最後の100ページに至るまではそのような感想でいたのだから。

では、最後の100ページを読んでどう評価は変わったのか。それは、結局のところ作家は作家でしかなく、円城塔は円城塔であるし、伊藤計劃は伊藤計劃であるということの気づきであった。確かにそこには「肉」の描写はないかもしれない。しかし、循環する言葉がある。円城塔の文体がある。その文体は「肉」の描写が提供するリアリティを補うものではないのかもしれないが、それとは別の論理的ショックを与えてくれる。小説が書かれることには目標があるのだとして、その目標がたとえば主題の提出ということなのだとしたら、主題を「肉」の描写によって提出するか、それとも論理的ショック療法によって提出するかは手段の違いにすぎない。と、そんな話ではある。

あるいはバトンの引き継ぎといってもいいのかもしれない。伊藤計劃によるプロローグから始まったリレーのバトンは、何者かの手によって受け継がれ、最後の100ページで円城塔によって引き継がれた、と。そして、結局のところ「誰が」書いたのかは重要ではなく、「何が」書かれたのかだけが重要なのだ、と。このようにして二人の作者による『屍者の帝国』は完成をみたのだろう。

「わたしは、フライデーのノートに書き記された文字列と何ら変わることのない存在だ。その中にこの私は存在しないが、それは確固としたわたしなるものが元々存在していないからだ。わたしはフライデーの書き記してきたノートと、将来的なその読み手の間に存在することになる。」(『屍者の帝国』p.432)

2012年5月17日木曜日

結婚と社会的承認、あるいは管理

同性婚に関するツイートを読んでいるとき、次のリンクが目に入った。2008年にカリフォルニア州で同性婚が禁止されたとき、MSNBCのニュースキャスターであるキース・オルバーマンが行ったスピーチだ。
われわれの歴史の中で、世間に強いられて異性と結婚したり、偽装結婚や便宜上の結婚や、あるいは自分でもゲイだと気づかないままの結婚をしてきた男女は数知れません。何世紀にもわたって、恥と不幸にまみれて生き、自分自身と他人への嘘の中でほかの人の人生を、その夫や妻や子供たちの人生を傷つけてきた男女がいるのです。それもすべては、男性は他の男性と結婚できないがため、女性が他の女性と結婚できないがためなのです。結婚の神聖さのゆえなのです。 
http://www.kitamaruyuji.com/dailybullshit/2008/11/post_287.html
オルバーマンのスピーチは、たしかに大変感動的な内容だし、多くの人の胸を打つことは間違いのないことだ。これによってアメリカのゲイやレズビアンの活動家は大いに勇気づけられたことだろう。

同性婚は長らくアメリカで文化戦争とも言えるような対立を引き起こしてきたトピックだったし、今でも依然としてそうであり続けている。カリフォルニア州の提案8号に賛成した人々は自らの宗教的な価値基準が維持されたことを喜んだが、オルバーマンのこのスピーチは、そうした「保守」的な人々に対するものであるわけだ。一部のキリスト教会の人々は、神学的なものの見方から性的マイノリティを道徳的に頽廃したものだと断定し、その人格を貶め、尊厳を奪う。オルバーマンは公共の場で示されたそうした暴力に対して断固とした抗議を行なったのだ。

このような社会にあっては、同性婚の実現は「結婚」という言葉の意味をめぐる文化的闘争という側面を帯びる。「結婚」という言葉を宗教的右派の占有物だけにしてよいのか。宗教的右派が「結婚」の社会的意味付けの権限を独占することによって、性的マイノリティが「結婚」という社会的承認の機会を失うのは不当ではないのか。

ジョージ・チョーンシーの『同性婚』でも触れられているが、「結婚」の社会的意義が低下しているとはいえ、それでも多くの人々が同性婚を求めるのは、パートナーシップの公的な承認を得られるからという側面が強い。というか、アメリカの場合、結婚許可証を得てから結婚式を挙げないと公的に結婚したとは認められないわけで、婚姻手続きの中に社会的承認のプロセスが埋め込まれている。

ところで、ここで日本の婚姻制度を振り返ってみよう。日本の婚姻制度は戸籍制度と密接に結びついており、役所に婚姻届を出すことで新しい戸籍がつくられて、公的に「夫婦」だと認められる。以上。基本的に、日本の婚姻手続きの中に社会的承認のプロセスは埋め込まれていない。もちろん成人二名以上による署名と捺印が必要とはなっているけれども、これはなんとでもできてしまうものであり、婚姻届を出したあとにセレモニーを行わなければならないわけではない。

こう書いてみると、日本の婚姻制度というのは実に味気ないもののように思えるが、アメリカの婚姻制度が社会的承認を経ることによるパートナーシップの社会への包摂を重視しているのだとしたら、日本の婚姻制度はあくまで世帯の管理ということを重視しているように思える。役所は、個人同士が結びつくことで生まれた新しい生産単位を管理することに主眼を置いており、そのために婚姻制度がある、といった風だ。そして、僕は日本における同性婚を考えようとするのならば、この日本の婚姻制度のそもそもの奇妙さを何とかしなければならないと考える。日本の行政は、パートナーシップを単なる管理の対象としか考えていないのだから。

イギリスの著名な社会学者であるアンソニー・ギデンズが言うように、1980年代後半から世界は後期近代の段階に入っていて、人々が自己アイデンティティの探求に必死になる結果、純粋な関係性をより強く求めるようになってきているとするなら、同性婚を求める声の世界的な広がりは不思議なことではない。そして、そうした純粋な関係性やパートナーシップを行政が保障するというのも、社会政策上極めて妥当なものだ。

しかし、日本の行政はパートナーシップよりも戸籍を優先させるために、本来なら社会政策の対象となるべきパートナーシップを見なくなってしまっているように思える。選択的夫婦別姓がいまだに実現されていないことに象徴的だが、戸籍制度は多様なパートナーシップを包摂するには極めて不十分で、非効率的なシステムだ。そして多くの個人の幸福追求権を妨げている。もし同性婚を実現したいと思うのであれば、こうした日本の戸籍制度・婚姻制度を変えていくのでなければ難しいだろう。

実際、戸籍法は同性婚の実現にとっては大きな壁となるわけで、そうした壁の存在が簡単に予期できる現状で、戸籍制度の是非をめぐってより活発な議論がおこることを期待したい。

2012年5月11日金曜日

政治的スペクタクルとしての同性婚

 【ワシントン時事】オバマ米大統領は9日、ABCテレビのインタビューで、「同性カップルの結婚を可能にすべきだ」と述べ、同性婚を支持する考えを初めて明確に表明した。米大統領が同性婚を支持したのは初めて。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120510-00000010-jij-int

オバマ氏が同性婚の支持を公に発表したことで、にわかに波風がたってる今日このごろですが、いやまあしかし、どうなんだろうね。

僕もいい歳なので、帰省したりすると「いい人いないの?」なんて嫌味を言われて愛想笑いを返すしかない立場なのだけれども、じゃあ同性婚ができればいいのか、というとそれはなんか違う。極めて個人的な心境を綴れば、僕にとって同居生活を送るというのは、喜びや悲しみや美味しさや醜さや、あるいはお湯やトイレや台所やベッドや冷蔵庫をシェアするということであり、その共有する楽しみや辛さを、自分が大切だと思っている人と分かち合うことを意味する。そして、その共有者は性別を問わない。そして、この共有生活は「結婚」という法的形式をとらなくても構わない。

「結婚」や「婚姻」という観念は、大昔から近代まで、社会的再生産という考えと緊密に結びついてきた。かつては農業労働の担い手をつくるために子作りが行われ、近代では工場労働や軍事行動の担い手をつくるために子作りが行われてきた。近代日本はその社会的再生産を効率的に行うために、家制度を法制化して女性をイエの中に囲い込み、自由を制限してきた。

しかし、現代では結婚と社会的再生産は直接的には結びつかなくなってきている。先進国の都市部の人々にとって、子どもはアンビバレントな存在だ。もし自分の老後の生活費を子どもに肩代わりさせようと思ったら、子どもの教育に大金をつぎ込まなければならない。しかし、だからといってその投資額を実際に回収できるかどうかはまったくわからない。このような理由から、先進国では少子化傾向が続いている。

しかし労働力の心配はいらない。なぜならグローバル化によって国際移動が頻繁に行われるようになった結果、労働力の担い手は、もはやドメスティックな再生産システムに依拠しなくてもよくなりつつあるからだ。もちろん、ここには「先進国」と「新興国」「途上国」との間の大きな格差が、その国際移動を促す原動力になっていることを忘れてはならない。先進国の男女が妊娠・出産によってキャリアに傷がつくことを気に病んでいる一方で、インドの貧困層の女性たちは先進国の女性の代わりに代理母ビジネスを行なっている。

このような状況にあって、「結婚」「婚姻」というドメスティックな制度はその存在意義を失いつつあるように思えるわけですよ。そして、別の方向から言えば、確かに現在同性同士の生活に既婚者と同様の法的保障があたえられていないからといって、もはや死に体である「結婚」「婚姻」制度に組み込まれなくてはならないという理屈がよくわからない。

確かに現状では、「結婚」「婚姻」制度に組み込まれることで得られる社会的利益というものがあるのかもしれない。「結婚」「婚姻」制度が死に体だとはいっても、現状は過渡期なのだからそれに乗っかることには意義があるのかもしれない。でも、沈みかかった船に乗ってどうするのだろう、という気もする。

必要なのは、「結婚」「婚姻」という古色蒼然とした観念を引きずることではなく、自分たちの生活の実質にあった制度を要求することじゃないのかな。同性間の暮らしの中で出てくる、異性間の暮らしと通じ、あるいは異なる実質的な問題をサポートする制度をね。

オバマ氏は確かに勇気のある発言をしたとは思うけど、自分たちにとって「結婚」「婚姻」制度はほんとに必要なのかどうか、きちんとした議論を継続していく必要がある。そうした議論が継続されないのでは、結局「同性婚」はオバマ氏や米民主党の政治的スペクタクル(=見世物)の小道具として消費されちゃうだけだと思うよ。

2011年10月25日火曜日

グローバル化とセクシュアリティ、の前に

さてさて、前回はセクシュアリティを通した主体構築の方法が、後期近代において変化の兆しを見せているのではないか、という話を書いた。

セクシュアリティとは単に性的な事柄についての問題なのではなく、近代における主体形成の問題なのだと論じたのは、かのミシェル・フーコーだった。

近代以降、セクシュアリティの管理は主体管理と密接に結びついてきており、セクシュアリティの管理を通して、人は国家を再生産する生-権力の担い手として生産されるようになった、とフーコーは述べた。
この「近代」とは、フーコーによればイギリス・ビクトリア朝以降の時代ということになるから、おおよそ19世紀から20世紀初頭ということになる。

この時期の研究は、たとえば日本においてなら赤川学『セクシュアリティの歴史社会学』などに代表される研究がある。
日本の場合は西洋のセクソロジーの輸入という形でセクシュアリティの「科学的」知識が導入され、これにより、明治初頭には男色や硬派といった形で存在していたホモセクシュアリティは、「変態性欲」として分析と治療の対象となっていくことになる。
そして、このセクシュアリティについての社会的認知の変容は、明治期から昭和初期にかけて、日本が天皇制ファシズムへと突き進んでいったプロセスと重なっている。

このように、セクシュアリティの管理が帝国主義的な国家主義と重なっていたのが、近代のセクシュアリティの第一段階であったとしよう。

では第二段階は何か。それは高度経済成長と消費社会の到来に関わる。
第二次世界大戦が終わり、全世界規模で19世紀型の帝国主義的・植民地主義的国家が反省されるようになる中、日本もまた瞬く間に「民主化」され、いかにも生粋の民主主義国家であるかのような装いを見せるに至った。

この「民主化」は言うまでもなく連合国の主導によるものであって、サンフランシスコ平和条約によって独立を果たすころには、日本はすっかりアメリカの茶坊主になっていた。

こうした中で人身売買を防ぐという観点から売春防止法が成立するなどして、性風俗の「民主化」も行われていったのだが、周知の通り、公娼制度は廃止されたものの、性風俗産業が衰えを見せるということはなく、高度経済成長期にあっても性風俗産業は盛んだった。

この当時の著名な性風俗街が労働者街のすぐ近くに存在していたというのは、高度経済成長期における性風俗の位置付けを確認するのに格好の手がかりとなる。この時代、性風俗はおもに肉体労働者のためにあつらえられていたのであって、資本主義経済下において労働力を再生産するための場所の一つが、たとえば横浜の黄金町や川崎などの性風俗街だったのだ。

戦前においてセクシュアリティが国家主義と結びついていたとするのなら、戦後の高度経済成長期には、セクシュアリティは資本主義と強固に結びついていたのだった。
ちなみに、1954年には銀座で『青江』が開店し、同時期には美輪明宏が『銀巴里』でシャンソンを歌っていた。そして一方では、売春防止法の成立により赤線が廃止されたことにともなって、新宿二丁目にゲイバーが集まりだすことになった。

セクシュアリティと資本主義との結びつきという点でいうと、この時期、性風俗街は下部構造、「ゲイバー」は上部構造にあったということも言えるのかもしれない。

この傾向が変化するのは、高度経済成長以降のことで、性風俗産業においては「素人」の参入が行われるようになる。(続く)

2011年10月10日月曜日

セクシュアリティの個人化について その2

昨日書いた「個人化」の話を続けよう。

個人化とは、単に何事かについての選好が個人の指向性や嗜好性に還元されることだけを指しているのではない。選好が個人の指向性や嗜好性に還元される現象そのものは、これまで「プライバタイゼーション」というような言葉で表されてきた。しかし、個人化と呼ばれる現象は、より広い現象として捉えられなければならない。

後期近代における個人化の過程が、プライバタイゼーションと区別されるのは、「個人化」が制度的に作動する現象であるということだ。ここで言う「制度的」というのは、言い換えれば「社会制度的」ということである。つまり、この社会において、「個人化」とは社会制度を支える一つの重要な要素として作動しているのだ。何らかの社会制度が上手く作動するために必要不可欠なものとして個人化という現象は生じており、私たちがこの個人化の過程に入り込めば入り込むほど、社会はより潤滑に作動するようになる。

このような社会の捉え方は、個人を社会に包摂することの重要性を訴える思想や、プライベートなものをパブリックなものに接続することを重視する思想とは、かなり隔たりがある。個人を社会が包摂するも何も、社会はあらかじめ個人化された個人をあてにして作動しているのだし(その意味でははじめから「包摂」されてしまっている)、プライベートなものをパブリックなものに接続するといったところで、そもそもパブリックな作用を免れていない「プライベート」など存在しえない。
これらの思想はどちらも冗長表現であるように、私には聞こえる。

セクシュアリティが近代に入って注目されたのは、人を性的主体として塑像するためであったというのは、今さら言うまでもない。近代というのをおよそ第二次世界大戦の終結までと捉えると、国家主義的政策のもとに労働力や生産力の再生産過程としての生殖に価値が置かれた結果、異性愛が称揚され、同性愛などの「変態性欲」は治療の対象となった。そうして、人は自身のセクシュアリティを自己モニタリングするようになっていった。

しかし、翻って現在ではどうだろう。人は様々なセクシュアル・アイデンティティによって自己を規定するようになった。そして、今ではかつてのように「変態性欲」が治療の対象と見なされることも少なくなってきている。このような事実は、セクシュアル・マイノリティにとって事態が好転してきたということを意味するのだろうか。

私はそのようには考えていない。

これは近代以降に続いてきた「セクシュアリテの体制」が消えたり崩壊したりした結果生じた変化ではないのだ。これは、単純にセクシュアリテの体制の目指す方向が変化したことを表しているにすぎない。

「セクシュアリテの体制」は、かつてのように一国の国力を高める方向ではなく、グローバルな流動性に対応する主体を造り出すという方向へとシフトしていった。そしてこの変化を露骨に示しているのが、たとえばグローバル企業による「ダイバーシティ」の称揚だ。

国家が基本的人権の観点からセクシュアル・マイノリティの存在や立場を擁護するのではなく、グローバル企業が利潤の観点からセクシュアル・マイノリティの存在や立場を擁護する。これが現在生じている性的主体の構築プロセスであり、セクシュアリティの個人化の過程なのだ。

2011年10月9日日曜日

セクシュアリティの個人化ということ

セクシュアリティ研究、ことに人文・社会科学分野におけるセクシュアリティ研究の困難について、私はその昔『挑発するセクシュアリティ―法・社会・思想へのアプローチ 』という本に収められている論文風味のエッセイの中で書いたことがある。

詳しいことは直接読んでいただくのが一番だが、要するに現代では一概に「セクシュアル・マイノリティ」と言ったところで、その内実は多岐に渡るために十把一絡げな形で言及することは難しいということだ。「ゲイ」「レズビアン」「トランスジェンダー」といっても、その性の在り方は多様で単純化することはできない。

また、セクシュアル・マイノリティの政治の本質がアイデンティティの政治である限りにおいて、今もXジェンダーというアイデンティティが誕生しつつあるように、既存のアイデンティティ・カテゴリーに多種多様な性を還元して済ませることはできない。

このようなセクシュアリティの在り方を、私はそのエッセイの中で「セクシュアリティの個人化」と呼んだ。

そのエッセイを書いたのは今から4年ほど前のことになるが、今から思うと、この議論は多分に都市的文脈の中でのみ通用するものなのだろうと思う。私は田舎の出身なので田舎の事情を知らないわけはないのだが、日本におけるセクシュアリティの問題を考えるとき、非意図的に東京の事例のみを参照してきていた。というよりも、セクシュアル・マイノリティが十分に可視的であるのはやはり東京くらいなもので、やはりここにも「困難」はあるのだ。

と、今このような反省を書いているのは何故かというと、この3月に起こった東日本大震災と、その後の避難所におけるセクシュアル・マイノリティの不可視化の問題があったからだ。

現在私は思うところがあって、セクシュアル・マイノリティに関する社会運動にコミットしている(レインボー・アクションという団体だ)。そして、この団体の主催で、今年の5月に「被災とセクシュアル・マイノリティ」というイベントを行った。

このイベントは、東京やその近辺の住人が東北地方の被災地のセクシュアル・マイノリティに対してどのような支援を行うことができるのか、ということを考え議論するもので、仙台のゲイ・コミュニティの被災者や、東北地方の当事者団体の方などを招いて報告などをしていただいた。

そのときに浮かび上がったのは、東北地方のクローゼットの強固さであった。被災者の中にセクシュアル・マイノリティがいることは確実ではあるけれども、当事者はたとえ支援が必要だと思っていたとしてもバレることを恐るために、支援団体に対して直接的に声を届けることができない。

今回、震災を通じて「絆」という言葉や「つながり」という言葉がとてもクローズアップされ、避難所でのコミュニティ形成についても注目が集まってきたが、しかし、それは一方では既存のクローゼットの構造が、そのまま避難所においても維持されるということを意味していた。また、たとえば避難所での食事の支度の負担がすべて女性にのしかかるといった光景も見られ、既存のジェンダー秩序が避難所でも反復されることとなった。

では、なぜセクシュアル・マイノリティやジェンダー不平等の問題が、避難所などで不可視化してしまったのか。

「それは普段からそうしたことが問題とされてこなかったからである」というのが、一つの答えだ。

地域において、普段からセクシュアル・マイノリティが不可視化され、その知識を地域の人々がまるで持っていなかったら、災害時においても配慮されることはない。あるいは普段からジェンダー不平等の問題について地域があまり関心を寄せてこなかったことが、災害時のジェンダー秩序の再生産へとつながっている。今回の震災において、セクシュアル・マイノリティやジェンダー不平等の問題は、それこそ「想定外」のことだったのだろう。

だとすると、今後の災害に備えて社会運動として行われるべきことは何か、その答えははっきりしている。まずはとにかく情報を流すことだ。セクシュアル・マイノリティについての情報を知ってもらい、その存在を認識してもらうという、そんな初歩的なところから始めていかなければ、今回起こったような問題はちっとも解決していかないだろう。

ところで、地方におけるクローゼットの問題は私がエッセイで書いた個人化の問題と無関連なのだろうか。

私はそうは考えていない。後期近代の作用である個人化の過程は現在被災地となっている地域でも生じていたのではないか。そしてそれが独特な形態のクローゼットを形成しているのではないか。パソコンやスマートフォンを通じて「出会い」が手軽に行えるようになる一方で、セクシュアリティは地域社会とは無関連なものとして、個人個人の身体に地域から切り離されて存在している。

このあたりのことは、まだ漠然としか考えられないが、今後も取り上げていきたい。